「知らない」ということを知ること
ひろゆきが好きです。
今結構ひろゆき人気ですよね。
YouTube配信やネット上でも本当によく見かけるようになりました。
自分はひろゆきが某番組で、2chをはじめとした匿名掲示板と犯罪の関係について「嘘つくのやめてもらっていいですか?」と論破祭りを繰り広げる前から彼のことが好きだったので嬉しい。
彼が今の世の中で人気になるのは必然ですよね。
何故って、そりゃ皆が思っていたけど言えないことをズバリ言ってくれるからですよ。
今までずっと思ってたけど、本音を言えずにいた人。
自分の主張より、周りの空気を優先してた人。
合理的でない理由を渋々受け入れていた人。
こういう人たちの思いを代弁してくれているのだから。
例えば日本人が崇拝する「努力信仰」。
これは日本で一番浸透している信仰・宗教かも知れないですね。
嫌なことは当たり前、仕事が辛いのは当たり前なんだ。
でもそれから逃げちゃダメなんだ。
逃げたら負けなんだ。
逃げたら人間として終わりなんだ。
だから目の前のことから逃げずに、壁を乗り越えていこう!
努力すれば必ず乗り越えられるさ!
とにかく逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃd、、、。
っていう信仰ですね。
この教義のキツさはモルモン教の比じゃないですね。
そして、もうかなりの人が気付いてしまってるんですよね。
ぜんぜん逃げて問題ない、ということに。
これは恐らく「挑戦して壁を乗り越える」ということと「死んでもいいからとにかく玉砕しろ」という特攻精神をごっちゃにしてしまった結果なのでしょう。
似ているようで全く違う精神論ですからね。
ゲームで例えるなら
「レベル1だから着々とレベルを上げてから魔王に挑む」
ということと
「レベル1だけど魔王と遭遇しても恐れず逃げずに戦え」
っていうくらい違いますね。
前者は「挑戦」と言えますが、後者はただの「無謀」です。
レベル1で仮に魔王と遭遇したらまず逃げますよね。
当たり前の話です。
それを「負けること」と勘違いしている人はとても多いです。
違います、最終的に勝つために逃げるんです。
強くなるために努力や装備を整えるのは当然ですが
今勝てない敵からは逃げることも当然必要です。
時には逃げつつ、自分を磨いて実力をつけ、敵に挑む。
これが挑戦するということです。
もっと現実的な例えで言えば、オリンピックに出場したりするようなスポーツ選手。
周りには彼らをサポートする様々な専門家や関係者がいて、競技に集中して打ち込める環境も整えて、着実に実力を磨き準備をしながら、メダルを狙う。
これが挑戦です。
会社で不十分な人手や環境の中、駒の様に人を扱い、教育も十分にせずにただ目の前の仕事を「やれ」ということ。
これはただの無謀です。
壁を乗り越えるというよりは、壁に体当たりを続けて壊せと言っているような感じですかね。
少し話が逸れましたが、こういうことをズバッと言ってくれるひろゆきが人気ということは、これは世の中の少なくない人が彼の発言や思いに共感しているということ。
僕はひろゆきと同じようなことを思っている人が、ずっと潜在的に日本にたくさんいたのだと考えています。
そういった人たちが今、ひろゆきという強力なインフルエンサーを自分たちのスポークスマンとして捉え、支持しているのかなと。
僕がひろゆきを好きな理由の一つとして、彼は「無知の知」を知っている人だということがあります。
ひろゆきってああ見えて、実はキチンと優しい人間なんですよ。
優しいというか、公平というかね。
身の丈に合ってないことを言ったりやったりする高慢なバカには容赦ないけど、真面目に生きてて損してるような人には合理的な理由や根拠をもって、具体的な解決策を提案してるんですよ。
0の人が1を気取るのも、1の人が0になるのもおかしいという、まともな思考の持ち主なんですよ。
その「まとも」な人の基準って「無知の知」を知っているどうか、ということがまず大きいと思うんです。
哲学者ソクラテスが唱えた「自分が無知であることを知っている」という意味の言葉です。
ソクラテスは、この世で一番知恵がある人というのは「自分には知恵がない、ということを知っている人である」と主張したんですね。
僕はこれを揺るぎない真実のひとつだと思っています。
そして、ひろゆきの人気の秘密のひとつでもあるとも思っています。
多分「無知の知」を知らない人が幅を利かせすぎなんですよね、今の世の中って。
その結果、最初に書いた「努力信仰」のような、合理的理由や根拠がなく、考えることを放棄しているかのような根性論や綺麗事が溢れかえっている。
仕事にしたって、終身雇用という砦が崩れ始めている今、一生会社に人生を捧げるなんて価値は失われつつあります。
最早お金やモノに価値を求めるのではなく、自分が生きやすいライフスタイルにこそ価値を見出す時代になってきている。
しかし世の流れについていけてない人、古い価値観がこびりついている人にとっては
それが異常に見える。
「無知の知」を知らない人は、そこで糞の役にも立たないアドバイスや説教をしたがる(いわゆる「老害」ですね)。
自分の経験したことがすべてで、正しいことだと思っているからです。
確かにそれは自分の中では正しいのでしょうが、他人や今の時代にも当てはまると考えていることが「無知の知」を知らないということなのです。
そういう人たちにビシッと根拠のある正論を遠慮なく叩きつけてくれるのが、現代のソクラテス、ひろゆきなんですよね。
好き嫌いというか、賛否両論は彼の周りでは常に巻き起こっていると思うのですが、それすらも良しとしてしまうような流れがありますよね。
別に賛否両論あっていいんだ、みたいな。
嫌われたって自分はもっとわがままでいいんだ、もっと自分に素直に生きていいんだ、もっと主張していいんだ、みたいな。
モロリベラル思想な僕みたいな人間にとってはいい流れだなと思ってますが、今度は身の丈を超えて、どんどんわがままな主張をしてくる人も増えてくると思ってます。
今でも潜在的にはいますよね、度を越えたフェミニストとか、その逆とか、SNSの書き込みとかに対して過剰に規制しようとする人とか。
ひろゆきも言ってます。
「ネットがあろうがなかろうが犯罪は起こる」と。
その通りです。
ネットがあるから犯罪があるのではない。
ネットは犯罪の一手段として用いられているだけ。
包丁で人を殺しますよね。包丁売るの規制しますか?
そういうことです。
変えるべきは規制ではなく、我々自身です。
人のことをとやかく言う前に、物事に意見する前に、もう一度自分が「無知の知」を知っているかどうか、自問自答してみてください。
言動が変わっていくと思いますよ。
偉そうに言ってますが、自分もまだまだ無知の知を知らなさすぎですね。
反省します、、。
今日はこんなところで、お粗末様でした。