思考の備忘

チラシの裏10000枚

現実を見る、ということ

自分は小さい時、絵を描くことが大好きでした。

 

小学校の時何度か、修学旅行や課外授業のしおりの表紙に自分が描いた絵が選ばれたり、何かのコンクールで入賞したりしました。

そういう時、自分を信じる力、すなわち「自信」というものが溢れ出てくる。

 

「自信」がつくと、余裕ができる。

余裕ができるとおおらかになれるし、人に優しくできる。

誰にも媚びる必要もなく、誰を憎まなくても良くなる。

 

小さい時なんてのは単純なので「将来は画家になりたい」なんて思ったものです。

ある時とのことを自分の母に伝えると、彼女は一言、「画家は食えないからダメ」と。

 

思えばあの時からだろう。

自分の本当になりたいものにはなれないんだ、と心に染み付いてしまったのは。

 

母のせいにするわけではないです。

どうあれ、自分がそのまま絵が好きなら、絵を描くことを続けて大きな賞を取ったりして、母を納得させれば良かったのだから。

納得しなくたって、本当に好きならお金を貯めて家を出てでも夢を追いかければ良かったのだから。

当然、当時小学生の自分にそこまで考えが至るわけもないのですが、、。

 

とにかく、その後、自分の絵画への興味は自然と離れて、新たな物事に心奪われることになります。

 

それこそが今現在も「自分の大好きなこと」と胸張って言える唯一の物事です。

 

これ以外に、本気で命やお金や時間を懸けることはできないです。

故に、これ以外の物事は自分にとってはどうしても「どうなったっていい」と思ってしまいます。

 

仕事しかり、人間関係しかり、その他諸々の事象に対して心が動くことはないし、自分にとってそれをやり続けていくこと、これが生きる意味と言ってもいい。

これを無くしてまでやりたいことなど何もないです。

だから、それを第一優先に考える。

 

そして、それが上手くいっている時や、それが認められた時。

自分の内側が輝いて、「自信」が沸いてくる。

僕にはこれがあるんだ、って思える。

他人を妬まなくなって、他人を受け入れることができる。

他人を好きになって、他人を嫌わなくてもよくなる。

 

それが自分にとっての「幸せ」。

と、そう気付いたのはそう遠くない過去です(ここにも少し書いてますが)。

 

一度、手放してしまった自分の大好きなこと。

今度こそ、何があっても離さないと決めました。

 

自分はつい最近まで好きなことを本気で続けることは夢であって、現実を見ることではないって思ってたんですよ。

仕事をして、お金を稼いで、余った時間で、趣味をする。

これが現実なんだと思っていました。

 

「高収入を得るチャンスを逃している人」。

今日こんな記事を見ました。

中身としては高収入を目指すには投資がどうだ、ビジネスパーソンはこうあるべきだ、というもの。

 

世の中にはこういったお金を少しでも稼ごう、みたいな趣旨の広告や記事が溢れてますよね。

副業、セカンドビジネス、株式投資、etc、、、。

 

自分にはまったくの異世界。理解できない世界。

お金のために好きでもないことを勉強している人たち、本当に凄いと思います。

これまったく皮肉じゃないですからね?

心の底から尊敬しているし、すごいと思ってます。

 

だって、つい最近までこういう人たちが「現実を見ている人」のお手本だと思ってましたから。

いや、今でも思ってますよ。

ただし、今はそういった中に「現実を見ている人」もいる、という考えに変わりましたが。

大半は「こうしなきゃいけないと思わされている人」なんだ、ということにも気付きました。

 

世の多くの人たちは、自分の本当にやりたいことをやらないで、やれなくて、諦めて、それができないのは「働くため」「生きるため」だと誤魔化して、金を稼ぐ手段を得ることこそが最優先だと思っています。またそう思わされています。

 

お金を稼ぐことを最優先に考えることが悪いなんてもちろん言いません。それが大好きで、それが生きがいで、それが幸せという人ももちろん沢山いるでしょう。

 

でもね、それが当然だ、それが普通だ、と思うことはまったくの間違いだと思います。

 

夢を諦めて、仕事を第一にし、家庭をつくって、家を建てて、それが現実を見るということだと勘違いしている人が多いです。

やりたくないことをして、苦労することが当然だと。

だから社会でやりたくないことをしても、我慢してやっていけと。

逃げるなと。

 

では、自分から一つ言わせてください。

あなたたちは「自分の夢から逃げた」のではないですか?

 

お金を、家庭を、年齢を理由に逃げたんじゃないんですか?

本当に好きでやりたいことを、それで食っていけないからって、金を優先して逃げただけじゃないですか?

周りや世間体のせいにして逃げただけじゃないですか?

それを続けていくことが出来ないから、仕事を理由にして諦めただけじゃないんですか?

それって、現実を見てるって言えるんですかね?

ただの夢から逃げた言い訳なんじゃないですか?

 

めっちゃ生意気で性格悪いこと言いましたすみません。

でも本当のことです。

 

現実を見ることって、そういうことじゃないですよね。

仕事に逃げて、自分の好きな道を諦めることじゃないですよね。

 

 

それは楽な道を選ぶということとはまったく違います。

ここをはき違えている人は多いと思います。

 

好きなことを続けるということは決して楽なことではありません。

仕事をしながら続けるなんて、とても難しいでしょう。

大半の人は仕事でくたくたに疲れて、飲んで、ネットサーフィンしたりして、寝て、また出社するの繰り返しでしょう。

 

それらを押しのけて、好きなことを続けることができますか?

収入や娯楽を多少犠牲にしたって、少しでもそのことに時間を費やせますか?

いつくるかもわからない、大成する日を夢見続けられますか?

その「現実」を見ながら、夢と向き合えますか?

 

大半の人はできないでしょう。

仕事という言い訳を見つけ、逃げている。

仕事をしていたって、好きなことはやれるはずです。

僕はそのために酒もタバコも女もやりません。

ギャンブルや浪費などもってのほか。

余った時間はほぼ好きなことに時間を費やしています。

 

それができないていない人たちが、夢を追っている人に対し「現実を見ろ」とは口が裂けても言えないはずです。

 

いいですか、「現実を見る」ということはですよ。

 

自分の人生に本気で向き合う覚悟をすることを言うんですよ。

何をやっているかなどまったく関係ないんです。

 

仕事だろうが、好きなことだろうが、自分の本気で向き合っていることがあればそれでいいのです。

他人の意見など全く関係ない。

それで稼いでいようがいよまいがまったく関係ない。

 

「現実を見ろ」なんて言う人の大変が、道半ばで勝手に夢を諦めただけ。

それを人の人生にも当てはめようとしている。

 

 

現実を見ながら夢を見るのはとっても難しいこと。

 

常に努力してなきゃ、自分の声はすぐ他人や他の意見に流されてしまう。

そしてそれを自分の声だと勘違いする。言い訳にする。

 

あなたの人生、言い訳してないですか?

金が、家庭が、時間が、年齢が。

 

何かに本気な人は、どんな言い訳もないはずですよ。

 もう一度あなたも、冷静に「現実を見直して」みてください。

 

 

これ、一体誰に対して言ってるんでしょうね、、。

ただの書きなぐりでした。